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根岸二丁目町会

台東区にある歴史と文化の街

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根岸二丁目マップ

根岸二丁目について

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鶯谷駅

往古、上野の高台は武蔵野台からつづく先端の台地で、根岸は奥東京湾の海岸でした。

旧利根川、荒川の流域に自然発生した沖積層の半島として、ここ根岸は区内においても早い時期(約6000年前)に陸地になりました。奥東京湾が後退していく過程で、根岸東南一帯の地は、沼・池と姿を変え、陸地へと変遷いたしました。

根岸の地名の由来は、上野の山麓にあるゆえ上野の「根」であり、沼地の水際であったゆえ「岸」である、というのが定説になっています。

寛永寺全体

江戸時代、根岸は武洲豊嶋郡金杉村に属す東叡山領の農地でした。東叡山寛永寺の門主は、代々京都の皇室から法親王が江戸に降下し、就任されました。

元禄の頃、門主様が、江戸の鴬は声がよくないと、京の鴬を取り寄せ根岸に放したことから、根岸は「鴬の里」「初音の里」といわれるようになります。

宝歴3年には、上野の山麓の根岸に、広大な御隠殿を構えて住まわれました。根岸の里は京の雅の流れを汲んでもいるのです。

寛永寺根本中堂

昔の根岸は上野山を背景に、田園風景と清流音無川、それに加えて、春は梅、夏は蛍、秋は紅葉、月は御隠殿、冬は山茶花・雪見の里、と四季を通して雅趣の富んだ地でした。

やがて、風趣を好む文人、墨客をはじめ大名や豪族が移り住み、文化・文政の頃は、行楽地・別荘地として栄えました。

「寮の根岸」「紅梅の根岸」「呉竹の根岸」などの形容句が生まれ、天保6年には文人だけで30名を数えたといいます。その後、幕末天保の政令で、武家や町人が百姓地に住むことが禁じられ、根岸は一時原野のようにさびれたこともありました。

根岸マップ

明治の根岸は、鉄道は敷かれるものの、道路の新設・拡張はまったく行われず、江戸時代の根岸の趣を色濃く残す未だ別天地でした。

再び文人、墨客、学者などさまざまな分野の文化人が集まり、田園まで宅地化されて市街地化が進み、明治22年5月1日より、金杉村石神井川用水(音無川)以南の地が下谷区に編入され、上、中、下根岸が起立されました。

明治20年代には、根岸在住の森鴎外、森田思軒、岡倉天心を中心に、饗庭皇村、幸田露伴、坪内逍遥らが集まり、根岸党と称する交遊がありました。

根岸二丁目07

明治25年正岡子規が当地に移住。子規は当時不治の病であった脊椎カリエスを患いながら俳句・短歌革新運動を行い、明治35年、35歳で亡くなるまで、病床には多くの文人が集まりました。根岸子規庵は子規終焉の地です。

大正から昭和にかけて、近代都市へと変貌すべく、大規模に道路が整備・新設されます。(現)言問い通り(明治44年)、鴬谷駅開設(明治45年)、尾竹橋通り(大正10年)、寛永寺陸橋架橋(昭和3年)、そして音無川も道路の新設毎に暗渠となりました。

戦前の根岸は、塀が連なり、木々が植えられた閑静な住宅街でした。

根岸二丁目09

昭和20年4月13日の戦災により、当町会は大方廃嘘と化しましたが、かろうじて中村不折の書道博物館の庫と八二神社が残りました。子規庵も寒川鼠骨らによって昭和26年に再建されるなど、根岸の街は、戦後住民の懸命な努力によって復興しました。

戦時中は時局を反映し、町会も国策推進の組織とされ、上根岸町会も昭和18年上根岸東、西町会と二分されます。

戦後また上根岸町会と統一された時期もありましたが、昭和28年に再び東西二町会に分かれ、昭和40年の行政による町名変更によって西部上根岸町会が根岸二丁目町会の名称になりました。

根岸二丁目13

戦後、言問い通りが拡幅され、寛永寺陸橋も改新されるとともに、昭和43年に着工された放射11号線(尾久橋通り)により、二丁目町会は分断され、まちは大きく変りました。

現在通りに面してビルが建ち並ぶものの、一歩路地に入ると、江戸時代頃から続く曲がりくねった道は、今も生活道として使われています。

当町会には、子規庵、中村不折書道博物館、八二神社、薬師堂等、貴重な文化財が密集しており、歴史と文化の街として今なお脚光を浴びております。

1999年根岸二丁目町会会員名簿より引用

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根岸の地名の由来は、上野の山麓にあるゆえ上野の「根」であり、沼地の水際であったゆえ「岸」である、というのが定説になっています。

根岸二丁目は、歴史と文化の街として今なお脚光を浴びております。

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